今年の夏休み前半の先生方の研修ウィークでは、11ヵ所の学校園等(zoomでの遠隔を含む)でお話をさせていただきました。研修後のアンケートで、たくさんご質問をいただいたので、今回はその中の一つに私の回答を書いてみたいと思います。
このような質問を書いてくださる方々は、それが批判的なものであっても、研修での内容を我がこととして捉え、真剣に考えていただいている奇特な有難い方々だと思っています。
少し長くなりますが、ご質問を原文のママ載せるようにします。
『今日はありがとうございました。先生の話を聞いて、教師自身の主観の捉えとは違う感性を持って広い知見で子どもをみていく大切さはよく伝わりました。子どもの見えない困り感を認知して捉え日々の指導を考えていくことが大切ですね。
今日の話をきいて教師自身の力を向上して子どもたちの課題に対して練習させて子どもたちの力を向上していってほしいですが、より視覚支援を豊かにしようとか子どもたちに優しくばかり追いもとめる方がいて、子どもたちが困らずそのままでいないか、そのままにして先生ばかりががんばって、子どもに甘い指導で終わってしまわないかという心配も同時にしてしまいましたがどうでしょうか。本日はありがとうございました。』
まず「教師自身の主観の捉えとは違う感性」とありますが、人と言うものは私自身も含めて、極めて主観的な生き物なのだろうと考えています。だからこそ、例え1mmでも日々学問的にも経験的にも「学び続ける」必要があるようです。多分ですが、主観としての「感性」は、その結果として自ずと磨かれるのだろうと思います。
次に「教師自身の力を向上して子どもたちの課題に対して練習させて子どもたちの力を向上していってほしいですが、…」とあります。新卒の頃、ある先輩の先生から「お前以上のクラスにはならんわい!」と言われたことを思い出します。(笑)その時は、反発心が起こりましたが、経験的にどうしても自分らしいクラスになってしまいますので…全く先輩の「仰る通り」でした。
さらに「子どもたちの課題に対して練習させて子どもたちの力を向上していってほしい」とありますが、子どもたち自身が本当に自分の課題だと捉えることができれば、練習をさせる必要はありません。受け身ではなく、子どもたち自ら主体的に練習するでしょうから!
現行の指導要領の本当の狙いはここにあります。与えられた課題をさせられるのではなく、主体的・対話的に子どもたちが学ぶのです。学びの主人公は子どもですから…。
「より視覚支援を豊かにしようとか子どもたちに優しくばかり追いもとめる方がいて、子どもたちが困らずそのままでいないか、そのままにして先生ばかりががんばって子どもに甘い指導で終わってしまわないかという心配も同時にしてしまいました。」とありますが、ここがこのご質問の一番おもしろいところだと思います。
「子どもたちに優しくばかり追い求める方」「子どもに甘い指導で終わってしまう」は、本当にそうでしょうか?心配しているだけでは、勿体ない!一度「子どもたちに優しくばかり追い求める先生」にご自身が一度チャレンジしてみてはどうでしょう?!
「甘い指導」とは何か?「優しい」指導とは、どこが違うのか?
発達障害で遺伝子レベルで困ってい子どもたちに、様々な工夫をして指導・支援を進めていくのは我々の仕事ですから、子どもたちが学ぶのに困らないように「親切」にすることがユニバーサルデザイン教育です。(その背景には、誰もが学ぶ権利があるというインクルーシブの理念が流れています。)
優しく親切な指導・支援で、小さな「できる」喜びや「知る」楽しさを、すべての子どもたちに味わわせられるようにしたいのです。少々困っても、それを乗り越える力をと考えるかもしれませんが、見えにくかったり聞こえにくかったりして本当に分からなくなると、子どもたちは自信を失い、自己肯定感や自己有用感を削られていきます。そのことが、一番の問題であり、日本の多くの子どもたちの課題だと考えています。
現実は、良いクラス(学級集団)づくりを目指しているのに、クラスの和を乱すように見える困っている子どもたちの存在があって、何をどこまで求め、或いは譲歩し…毎日がその匙加減に苦慮しているのが現状だと思います。おまけに、子どもたちの特性はみんな違います。つまり、少々学んだところで、易々とこちらの思い通りにはならないのです。
そのような中でも、先生自身が「やれば、分かります!」
初めてのことは、人はできないようになっていますから、その失敗や挫折に見える先に…先生自身の答えが、見つかるかもしれません。
笑顔で 元気に 逞しく!
ステキな学校・学級をつくるため 自分の歩幅で、前進していきましょう!

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