合理的配慮のために~「不合理」を乗り越える②~

「合理的配慮」における「不合理」を乗り越える二つ目のポイントは、『「均衡を失した」又は「過度の」負担について個別に判断する。』にあります。

こういうことを、世間一般では現場に「丸投げ」と言いますが、それぞれの障害の状況や地域の状況、生活背景等々、多様すぎて一つ一つ書ききれないということでしょう。

こうなると、一体何が重要になるかというと個別に関わる力、つまり保護者との話し合い(相談)の重要性が増すことになります。

つまり、平素からの学校、担任と保護者のより良い人間関係づくりができていないと、「連携」にならないのです。

そのためには、やはり毎日の教育実践による信頼の積み重ねが合理的配慮の成否を左右します。

これまでも何度も申し上げていますが、「困った子ども」ではなく、「困っている子ども」なんだという意識の変化をスタートにして、日々地道に教師の指導・支援力の向上を目指していくことしか、保護者との連携の土台を築く方法はないと思います。

なぜなら、「言葉の意味は言葉そのものには無い」からです。

例えば、「世の中で一番大切なのは『愛』です。」という言葉あります。

もし私たちが大嫌いな誰かが言ったとすれば、素直に納得できるでしょうか?

一方、私たちの大好きな誰かが「世の中で一番大切なのは『愛』です。」と言ったら、そうだそうだと納得するの可能性が高いのです。

それはおかしい、「不合理ではないか」と言われるかもしれませんが、同じ言葉であっても、「誰が言ったのか」によって、受け取る側の言葉の意味が違ってくるからです。

つまり、「合理的配慮」のため保護者の皆さんと連携を進めようとすると、言葉として同じ内容を言ったとしても「先生がそう仰るのなら…」となるのか、「先生の言うことは信用できないので…」となるのか、我々人間の言葉の意味理解の仕組みという「不合理さ」を乗り越えていく必要があるのです。

日々の信頼の積み重ねの延長線上においてのみ、「連携」が成立することになります。

続きはまた!

笑顔で 元気に 逞しく!

    

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