「方針(目標)」を吟味する

いよいよ新年度になりましたね。

まだまだ、間に合います。

心して、準備をしていきましょう!

さて、結論から言うと学級担任としての「方針(目標)」は自由です。

「~でなければならない」ということはありません。とは言え、「今年も友達をいじめよう!」「みんなでいがみ合おう!」などを方針に示す先生は居られないと思いますので、いくつか方針を吟味する方法を書いてみたいと思います。

一つ:本当に自分が大切に思っていることか

自分が本当に大切に思っていないようなことを方針にしてしまうと、だんだんとブレが生じてきて、自分自身が苦しくなります。そしてそのうちにボロが出てしまうものです。

ましてや、いいかっこする必要もないので、素直に自分自身が本当に大切に思っていることを方針(目標)として示しましょう!その方が、自分自身も楽だと思います。

二つ:方針(目標)の主語は自分になっているか!?

方針(目標)は、まずは担任である自分が「目指す標(しるべ)」ですから、それをうっかり「子どもたちが~する」や「子どもに~させる」というような方針(目標)にすると必ず、失敗します!(勿論、その失敗から学べは良いのですが…)

一つ目の自分が大事にしたいことであれば、自分が主語になっても違和感はないはずです。

また「他者へのルールや方針(目標)は必ず、破られる」ものです。ルールとはそういうものです。

ですから、子どもたちが何らかのルール破りをしても慌てる必要はありません。

「ほほぅ、そうきたか。」「ありゃ、きみか。」と余裕を持って、冷静にかかわっていくだけです。

一方、方針が「自分の行動目標」であれば、自分さえ破らなければ、誰にも破られませんし、破ってしまったら、素直に自己反省して修正すれば良いのです。

例えば、方針(目標)を「楽しいクラスをつくる」としたのであれば、平素の自分の言動、授業、行事等々、常にこれで自分も子どもたちも本当に楽しいのかを、自分自身に問い続け日々の実践で表現していきたいものです。

三つ:「言える」・「わかる」・「見える」

「言える」「わかる」というのは、要するに難易度の問題です。

つまり、あまりに立派過ぎる崇高な方針を立てると、そのことで子どもたちから指摘され、返って信頼を失うことになりかねず、結局は自分の首を自分で絞めることになってしまいます。

私なんぞは、それ程立派な人間ではない自覚があるので、恥ずかしくてとてもとても崇高な方針は立てられませんでした。<(_ _)>

校長時代、着任した学校の校長室には、難しい言葉の教育重点目標が掲げてありました。何人かの以前から勤務していた先生方に「うちの『重点目標』ってなんだったっけ?」と尋ねてみましたが、スラスラと返答できた先生はおられませんでした。

今でも当時の先生方に尋ねると、皆さんスラスラ言えますし、やはり当時の子どもたちに尋ねてもスラスラ言えていました。

「見える」というのは、担任としての自分の方針なので、教室内の常に自分が見える所に掲示しておくということです。

教室の後ろの黒板の上や廊下側の上の方に、担任としての自分が常に見えるように掲示しておくことです。

人間誰しも、ついうっかりということもありますから、その都度確認して反省していくことが大切です。

笑顔で 元気に 逞しく!

ステキな学校・学級をつくるため 自分の歩幅で、前進していきましょう!

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