学校園から大人(先生方のこと)で困っているというご相談が寄せられることがあります。
その教員に協調性がなく、一つの教師集団として機能しにくいという悩みや、考え方が旧くて特性のある困っている子どもたちに大きな声で怒鳴ったり、言葉を荒げたり、時には教室から追い出したりする行為が未だに見られる(指導力不足というか、体罰ですよ)という悩みなどが結構多いです。
学校組織というのは、概ね先生の集まりであって、皆それなりの人格を有しているだろうから、さぞかし集団として民主的な運営がなされているだろうと思いたいところですが…多分世間一般の組織と同じようなものではないかと考えています。
教師集団と言えども、同じ人間がやっていることですから、間違いなく同じようなトラブルやもめ事はあるものです。
人の悩みは概ね三つに集約されると言います。
①命(健康のこと) ②お金(経済のこと) ③人間関係
①の命(健康)の悩みは、誰しもがいつか遭遇します。誰もこの悩みからは逃れることができないのであれば、ある意味平等とも言えます。
②のお金の悩みは、例えば公立学校の教師になったその時点で、余程無茶な生活をしなければ、今の日本社会でお金で困ることはまずあり得ないのです。
ですから、学校での悩みは概ね③の人間関係に集約されます。
それが、子どもたちであれば「いじめ」という積年の大きな課題であり、大人の教員間でも様々な不協和音が課題として生じることは、当然あり得るわけです。
さてその課題となっている先生が真面目過ぎたりこだわりが強すぎたりして、協調性に乏しい面があったとしても、直接お説教やお話をする立場にはありませんから、少し遠回しの別の事例をあげながら研修の中に入れていくことはできます。
但しそれでも、私ごときの年に1回の研修での講話で、その方が我がこととして気がつくかどうか、さらには気がついても自分で改善しようとされるかどうかは、本人に任せるしかありません。
そして、それでもあきらめることなく、情報を提供し続ける責任がその組織の管理職にはあると思います。その手だての内の一つとして、研修に呼んでいただけることは本当に有難いです。
つまり、どうせ変わらないから放置してしまうのではなく、子どもも大人もすぐには変われないけれど、いつか変わるかもしれないので、相手を信じて的確な情報を提供し続ける責任は組織の長にはあるのです。
私としてはその方法として、日々の「校長室だより」がありました。
笑顔で 元気に 逞しく!
ステキな学校・学級をつくるため 自分の歩幅で、前進していきましょう!
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