さて、この事例のB児とC児もある程度「愛着」の課題があるのかもしれません。
そうであれば、「注目行動」として教師にかまってもらうために二人は消しゴムを投げ合い、一方A児は「先生~」と叫ぶ…まさに恐怖のモグラ叩きゲームが始まってしまったことになります。
こうなると教師は落ち着いて指導する段階から、だんだんとイライラしてきて冷静さを失い、怒鳴る、長い説教するなどが続いていきますから…日に日に収拾がつかなくなり、悲惨な結果が予想されます。
だからこそ、「子ども理解」が必要なのです。
これはアドラー心理学的な視点になりますが、子どもたちが何某かの行動をしている時、その行動が道徳的に見ても、集団形成のルールから見ても、決して褒められるようなものではなくても、(その子どもにとって何か都合の)善いことがあると考えてみるのです。
この事例の場合、少しでも先生にかまってほしくて、非生産的な行動を繰り返しているかもしれないのです。
もしそうであれば、その非生産的な「見て見て行動」に対して叱る・怒るという形で関われば関わるほど、子どもたちは教師にかまってもらえるという誤学習を重ねてしまうことになります。
教師や保護者ににとってそれが不可解な行動であっても、何かその子どもにとって善いことがあるとすれば、それは何か?!の視点を持つ。
「子ども理解」において、このような視点を持てるようになると、私たちはより冷静に困っている子どもたちと関わることができるようになります。
それでは、また!
笑顔で 元気に 逞しく!
みんなで一緒に ステキなクラスをつくりましょう!
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