以前、「笑育」の考え方や子どもたちの発達の捉え方などをお話させていただいたSさんから、以下のようなメールを頂戴しました。
『小学校低学年で発達障害ではと学校に指摘されカウンセリング受けてたうちの孫は、困り感をひとつずつ解決しつつ 得意の絵本の読み聞かせや読書力などをほめほめ。 自信を持てるとすごいですね。 6年生になった今は学級会議長したり 生き生き学校生活楽しんでます。 行きつけのミシュランガイドに掲載されてるラーメン店の店主に気に入られ弟子入りのスカウトされ、修行用にお下りもらって来たそうです(笑) AIではできないことですよね(笑) 娘と私が笑育のすすめに出会えたおかげです‼︎ありがとうございます‼︎』(一部抜粋)
頂戴したメールからは多くの学びがあります。
文科省が言う、「生きる力」は漠然として捉えどころのない感じもありますが、その意味の一つは、一人ひとりの子どもが「自分はこの世に生きていく価値がある」と心から思えることだと思います。
つまり、子どもたち一人ひとりが「自分は自分、私は私でいいんだ!」と「自信」を持てること!
ところが、学級という集団づくりをしていく上で、こちらの話を聞いていない、私語が多い、立ち歩く等々の「生産的能力」の必要とされることが苦手な困っている子どもたちに、担任としてはどうしても手を焼くことになります。
そのことを「おもしろい子だなぁ」と楽しめれば良いのですが…ついついちゃんとさせなければと叱り続けて、子どもたちの「自信」を奪ってしまい、結果として子どもたちの口からは「どーせ無理!オレ(私)なんか…」としてしまいがちです。
学級という集団の規律を乱さないでちゃんとできることは確かに素晴らしいのですが、その一面的な価値観だけでは、椅子に座れなかったり、話を聞くのが苦手だったりする困っている子どもたち一人ひとりに「自信」を持てるようにすることは極めて難しいです。
にもかかわらず、今回周りの皆さんが子どもの特性の理解を進め、その子の良い個性を伸ばせるように関わってくださったことがこんなに生き生き伸び伸びとした成長につながった事実に、感動するのです。
このようなステキな大人に出会える子どもは幸せです。
すべての保護者、すべての教師がこのようでありたいと願います。
今回のようなお話をいただけると、微力ながら、お役に立てたのかな…(^^♪
続けてきて良かったと本当に勇気がもらえます。
S様、ありがとうございました。<(_ _)>
それでは、また!
笑顔で 元気に 逞しく!
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