求め過ぎない

研修を受けていただいた後の、某男性の先生(小学校)のご感想から

『…自分のクラスの子どもたちのことを振り返りながらお話を聞かせていただきました。目の前にいる子どもたちに求め過ぎないという言葉が本当に刺さりました。「こうしてほしい」「こうなってほしい」という気持ちが先行し過ぎてしまっていた部分があったのかもしれないと反省していました。月曜日からまた自分を見つめ直して取り組んでいこうと思います。…』

教師であれば、「こうしてほしい」「こうなってほしい」と子どもたちの成長を願うのは自然な姿だと思いますし、そのような子どもたちに対する思いや願いが無いのであれば、続けていくのは難しい仕事ではないかとさえ思います。

只、気を付けなければならないのは、その願いの「出所(本質)」と「アウトプット(出し方)」ではないかと思うのです。

その願いの「出所」が、子どもたちの成長を純粋の願うのであればよいのですが、「不安」や「怖れ」からその願いが出ているようであれば、極めて要注意です。

発達に課題がある子どもたちは、その特性として生産的能力が低いですから、例えば「立ち歩かず椅子に座れるようになってほしい」という願いがあったとしても、そう易々とはいかないからです。

困っている子どもたちの成長には相応の時間と手間がかかりますから、その時間と手間の重圧は「なぜ言うとおりにしてくれないの?!」「なんで何度も注意してるのにちゃんとできないの?!」などと自分の指導力への不安や不信につながってしまいがちです。

冷静であろうとしても、「不安」や「怖れ」のパワーは超強力ですから、その負の感情から表情や言葉が支配されてしまいます。

今回のご感想の先生も、きっと熱心なステキな先生なのでしょう!

子どもたちに対して、成長してほしいという熱量が高い熱心な先生であるということは、反面表情が怖すぎたり、言葉が威圧的過ぎたりする可能性が高いということでもあります。

馬力の大きい自動車のコントロールが難しいのと同じです。

「求め過ぎ」に気づいたことは素晴らしいことですから、とてもパワフルな先生であったとしても自らの馬力に合わせて、子どもたちのために安全で安心できる自分の運転に心がけていただければと願います。

笑顔で 元気に 逞しく!

みんなで一緒に ステキなクラスをつくりましょう!

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