前回の続きです。
・けじめをつけて行動する子→休み時間と授業の切り替えを素早くできる。すき間の時間も今やるべきことを見つけて、行うことができる。
「けじめ」という言葉も、我々教師の大好きなよく聞かれる言葉です。
デジタル大辞泉によると、
1 物と物との相違。区別。2 道徳や規範によって行動・態度に示す区別。節度ある態度。
3 連続する物事などの境目。区切れ。4 へだて。くぎり。しきり。などの意味があります。
さらに、語源を調べてみると源氏物語に「かなたこなた御几帳ばかりをけじめにて」(「几帳だけを仕切りにして」の意味)の表現があり、つまり「けじめ」とは「何某かの境を隔てる扉」のことのようです。
授業中と休み時間の切り替えを素早くしてほしいという、願いや気持ちはよくわかります。
最近は、この「切り替え」のためか、どこの学校に出向いても授業の始めと終わりに「今から〇〇の授業を始めます。or終わります。(日直さん)」「始めます。or終わります。(全員で)」と挨拶をされています。
私は、「授業」の前後にこのような挨拶をやったことはありません。
形式的な挨拶をすることで、本当に「けじめ」がつくとは、思えないからです。
それより、子どもたちの注意が集まる導入や、動きのある指示を出した方がよほど「切り替え」ができるからです。
例えば、国語の時間のチャイムが鳴ったら「教科書の〇ページを立って読みましょう!」と板書するなどの指示を出します。
遅れてきた子どもたちが、すぐに教科書を読み始めてくれたら、目線と頷きでOK!の合図を送れば良いのです。
全員が揃ったら、「いいねぇ。もう一度読みましょう!」と再度指示を出します。
わざわざ「挨拶」しなくても、気がついたら授業の世界に入り込んでいたという自然な導入の方が、形式的に「今から授業を始めます」とやるより遥かに私は好きです。
さらに「すき間の時間も今やるべきことを見つけて、行うことができる」とありましたが、これって大人でも難しくないですか?!
人には、「ぼ~っとする時間」も大事なんですよ。
ましてや、マイワールドに入りがちな注意欠陥の子どもたちにとっては最悪の「望む子どもの姿」だと思います。
あまり子どもたちに高望みをすると、子どもたちも窮屈でたまりませんし、前回と同じで結局は全部廻りまわって自分に跳ね返ってきますからね。
それほど力まず、肩ひじを張らず、もっと余裕とゆとりを持って学級づくりを楽しんでほしいなぁと願っています。
何しろ「自分に優しく、他人にはもっと優しく!」ですから…
それでは、また!
笑顔で 元気に 逞しく!
みんなで一緒に、ステキなクラスをつくりましょう!
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